医師のあるべきすがた~京アニ放火事件で考えたこと~

京アニが燃えた、と聞いたとき、なんだ何かあって炎上したのか、と思った。
本当に燃えていて、しかも放火で、34人(2019.07.20 午前07:02時点)が亡くなった、と聞いたとき、犯人が許せるはずもなかった。
被害者の方々、ご遺族の方々の心痛はいかばかりとも量りかねます。亡くなった方々の御冥福と、怪我をされた方々の出来るだけ早期の回復をお祈りいたします。

端的に言ってしまえば簡単な話で、犯人には極刑を望む。私はあまり京アニ作品を見てはいないが、Free!の名前は知っているし、涼宮ハルヒの憂鬱も知っている。もってけ!セーラー服とじょーじょーゆーじょーは歌える。けいおん!も有名なので知っている。作画がとっても綺麗なのも、聲の形で知っている。京アニの作品は日本の宝であることは間違いなくて、だからこそ犯人には極刑を望む。

でもそこで、犯人が麻酔で眠っている、と聞いて、ちょっと考えてしまった。
犯人を治療した医師は、その男が京アニに火をつけた男だと知っていただろうか。そんなこと知る余裕もなく、ただ警察がいるから何かやった人かもしれないと思いながら、それでも目の前の男は怪我をしているから、一生懸命治療したのだろうか。そうして全てが終わったあとで、自分が治療した男は、34人を殺した放火殺人犯だと知ったら?そしてそのお医者さんが、京アニファンだったら?否、極論としては、そのお医者さんの家族が、京アニで働いていて、そして連絡がとれなかったら?

今まで、「自分の子供を殺した人間でも、瀕死の重傷の人間を、医師として救わないわけにはいかない」という問題に対して、私は現実味をもった問題として考えたことがあまりなかった。今回の事件でやっと考えた。自分の子供じゃなくても(私はまだ子供がいないからこれに関しては我が事のようには考えづらいのだろう)、大好きなクリエイターが殺されて、その殺した人間は自殺を図って重傷で、私は医師で、その人間の前にいるとしたら?いや、その人間が何を為したか知らずに治療して、後になって、そいつはあの人を殺した人です、と聞かされたら、私はどうやって気持ちを整理したらいいのだろう。医師を志す人間として、考えてしまった。

そうして、こんな結論を出した。
医師はどんな人間も救うべきだ。そしてその救いは、患者さんが死を望んでいるわけではない限りにおいて、命を救うことでなければならない。
救うべき、と私が言うのは、人道的にとかではない。その患者さんが、重大な事件を起こした犯人であったとしても、とにかく法の裁きを受けさせる為に、その時その人を生かす為に出来ること全てをやらなければならない。全員に裁判を受ける権利があるとか言っているわけでもない(それは正しいのだけれども)。
私たちはこういう重大かつ残忍な事件の犯人に対して、死んでしまえ、と簡単に思うし、ときたま口に出す。その気持ちはある意味では正しい(そういうこと言うのは基本的に良くないとかはおいておいて、一時の感情として)。被害者の家族の方々とかは、特に強くそう思うだろう。でも、それによって、裁判の前にその犯人が死んだところで、その死はただの死であり、法によって定められた死刑ではないのだ。
死んでしまえという言葉を私なりに考えたとき、それが社会全体が思っていることだという思いが少なからずあって、いつもそんなこと絶対言わないような人も、思わず頭の中に、そんなことする奴死んじゃえばいいのに、と浮かんでしまう、そんな気がするのだ。それなら、裁判をして、あなたは悪人だ、死を以て償うべきである、と、全てを明らかにしてから通告されて欲しいと思うのは、私だけだろうか。
だからこそ、自分が持っている「死すべし」という思いを飲み込んで、その気持ちを「正当に裁かれて、結果として死を告げられるべし」と組み替えて、医師は治療を行うべきなのだろう。そして、後から事実を知ったなら、自分は犯人を救ったのではなく、犯人が死を告げられる場所を、正当な裁判に委ねたのだ、と思う他ないのだろう。
だから私は冒頭に、犯人には極刑を望む、と書いた。死を望む、ではなく。

とても難しいことだ。でも正義の為には必要だ(冤罪の可能性がある事件もある)。これが本当に正しい考え方なのか、それは私には分からない。本当に正しい考え方なんて誰にも分からないのかもしれない。だから、自分が一生懸命考えて、正しいと思ったことを、全身全霊やるしかない、のだろうな。

こうやって考えて、ニュースを見ながら、まだ眠っている、というアナウンサーの声を聞きながら、私は、絶対に殺すな、と念じていた。
絶対に殺すな。
正義の裁きを受けさせるために、今は殺すな、と。