煙草吸わない方がいいって言うのはアニメの仕事じゃない

ルパン三世のオタクを長らく(といっても10年弱)やっている身として、次元大介のくわえ煙草がなんかよくないんじゃないかなんてことを言われるのがちょっとアレだなぁ、と思って書いてみるのである。

次元は確かにいつも煙草をくわえている。ルパンも、次元ほどではなくともかなり頻繁に煙草を吸っている。実は銭形警部も、ヘビースモーカーだという設定がある。次元が好きな煙草の銘柄はマルボロとペルメル・スーパー・ロング。不二子もたまーに煙草を吸ったりしている。パイプだったり、水タバコだったりする。五ェ門は記憶にないんだけどあったら教えてください。(もしかしたら私の「五ェ門は煙草吸わないひと!」っていう思い込みの産物かもしれないので)

で、この前(といっても結構昔)こんなことを耳にした。
(ソースがツイッターなのは覚えてるんだけどごめんなさい、元ツイ探し出せなかった...)
ルパン三世を見て、大泥棒になろうという奴はいないだろうが、次元大介に影響され煙草を吸う奴はいるだろう」
文脈として、「虚構じみた虚構をまねる奴はいないが、リアリティある虚構に影響される奴はいるものだ」みたいな感じだったのを覚えている。この後からジェンダー論に入っていたはずなので、多分この例示は話の本筋ではない。でも、気になってしまった。

まあ確かに。私は煙草を吸おうとは思わないが、煙草を吸う次元は様式美だし、かっこいいと思う。
でもそれと同じように、鮮やかな変装を見せて華麗にお宝を盗むルパンは様式美だし、斬鉄剣でバサバサ戦闘機をかっさばく五ェ門も様式美だ。お色気で敵もルパンも騙す不二子ちゃんと騙されるルパンと呆れる次元&五ェ門、最後に走ってくるとっつぁん、冒頭のカーチェイス、みたいなのも様式美だ。
この「様式美」と、「やろうとは思わない」にはどんな差があるんだろう。

多分それが学校教育であり、家庭教育なのだろう。
私たちは、「人の物をとってはいけません」と教わる。「嘘つきは泥棒のはじまり」と、泥棒は悪の象徴のように登場する。「刃物を振り回してはいけない」とも、教わるし、なんとなく日本に生きてりゃ分かる。「一般人の、許可のない銃の所持は日本では認められてはいない」と教わるし、それに、「煙草は体に悪いよ」とも、ちゃんと、教わる。

それで尚煙草を吸うなら、自己責任、なんじゃないだろうか。
もちろん、副流煙のこともあるから、歩き煙草はご遠慮いただきたいし、ベランダで吸われるのも願い下げだ。だけど、人に迷惑を掛けずに喫煙所で吸うのなら、もうそれ自己責任じゃないの、と思うのだ。それが次元に憧れてなら、ああそう、じゃあ学校で習った「煙草は体に悪いよ」よりもそっちが強くて、あなたはそっちを選んだんだね、ふーん、ぐらいな話である。

それをアニメとかのせいにされたらたまったもんじゃない。別にルパン三世を見て「次元かっこいい!ハードボイルド!今世紀最高にダンディ!」とか思ってる私みたいな人間でも煙草を吸おうとは思わない。そんな人は世の中に(まあ好きな加減はこんな気持ち悪い感じじゃないにしても)結構どころかたくさんいるだろう。
自己責任があまりに跋扈する社会は如何なものかとは思うけど、これは自分の体に関することだ、自己責任でもいいんじゃないかしら。病気が突然襲ってきました、みたいな話ではないわけだし。

もちろんマナーは守った上で、喫煙は自己責任。アニメのせいにも、何のせいにもしない。自分で選んだんだ。そう、私は思うのだ。