自分の考え方に名前をつける

※今回書くのは「ジェンダー解体」についてです。
※不勉強もあるかもしれません、というかあると思います。非当事者であり、医学を学ぶ一人間として体の性について考えたものです。間違っている事実があったらご教示ください。

この考え方が、単純にフェミニズムなのか分からない、と思ってきた。
フェミニズムは女性の生きやすさを、平等を、自分らしさを、誰にも邪魔されずに主張することを推進する考え方だと思ってきた。でもフェミニストというひとたちの中には、「私の考える正しいフェミニズム」を人に押し付ける人がいるような気がしていた。そのせいで、「フェミニスト」が「めんどくさい人」の代名詞のように扱われることもあるようだった。それに怖気づいてフェミニストと主張できないような軟弱な思いは、フェミニズムではないのではないか? 第一何か明確な被害を受けたこともない人間が偉そうに……。私は女だからといってできなかったことは今までない(気づいてないだけかもしれないし誰かを蹴落としてきたのかもしれない)し、所属している大学は女性の合格基準を動かした大学として報じられてはいない。幸い痴漢にあったこともない。そんな人間が、怒っていいのか。というように、グダグダ思っていた。


で、参院選が迫っていることもあり、政策を見たり候補のtwitterを見たりなんだりしているうちに、とある論争を見た。それは、「トランスジェンダー女性も女性トイレに入れるようにしてくれ」VS「女性だけの場所を奪わないでくれ」というものだった。前者の主張をしている人は、後者の主張をしている人に対して「トランス差別」と言った。後者の主張をしている人は、前者の主張をしている人に対して「女性の安全を考えていない」と言った。

そもそもでもこれ、「人が何着てようが自由」とみんなが思えていれば、生まれない問題なんじゃないのか、と私は思ったのだ。
例えば、生物学的に男性の人(XYの人、と今後表記します)が、スカートを履くのが好きだったとする。この時、「人がどんな服装を着ようがどうだっていい、自由」とみんなが思えていれば、この人が男性用トイレに入っても、誰も疑問視しない。勿論、他のXYの人と同じところにいたくない、怖い、というXYの人がいるかもしれない。こういう人のために、多目的トイレがある(多目的トイレがないところがあるというのは問題だと思っています)。


この考え方、「ジェンダー解体」というらしい。身体的性別は性染色体の違いとして絶対的に存在するし、それによってXYとXXでは体のつくりやホルモンの値が異なる。これは存在する違いだ。良いとか悪いとかそういうことではない。ただそこに「ある」。ただ、それに私たちの社会でのありかたを結びつけるかどうかは、話が別だ。
トイレを分けるのは仕方ない。それは体の話だから。それは体が、XYとXXで分かれているから。浴場と同じ、といえばすんなりと認められるのではないだろうか。責めるべきはそこではない。責めるべきは、身体の性別に従うそこへ入らなければならない私やあなたの身体ではないし、そう決まっていることではない。
そこじゃなくて、XYを持つことと、人前で泣かないとかズボンを履くとかいうことを、XXを持つことと、化粧をするとかヒールを履くとかいうことを結び付けて、押し付けて強制して、逆側を排除しようとする、その考え方が、おかしいのだ。責められるとしたら、そこなのだ。染色体を、身体を、責めるのではなくて、身体と行動・言葉を結び付けて押し付けて、逸脱を笑う、そういう社会を責めるべきなのだ。
フェミニズムジェンダー解体って、なぜか対立している気がするけれど、相性が良いのではないかと思う。フェミニズムが目指すのは、女性だからって差別されない社会だ。女性だからって、勉強しちゃダメなんてことはないし、女性だからって、ヒールを履いてスカートを履かなきゃならないわけじゃない。それって、既存のジェンダー観にNOをつきつけることだ。そんなこと言われたって従いませんよと宣言することだ。それが男性にも広がったものが、ジェンダー解体だと思う。
それは、「女だから」をなくすことと、「男だから」をなくすことを、同時に目指すことだ。もちろん、今は女性の方が、男性よりも低く扱われることが多いから、「女だから」をなくす方が、時間も労力もかかるし大変かもしれない。いや、大変だろう。私たちが、女性が、XXの人たちが、「女だからって押し付けないで」と声を上げることは、押しも押されもせぬフェミニズムだ。けど別に、これを男性が言ったって、何の問題もないはず。「男だからって押し付けないで」と言ったって、それが特権でなく生きづらさである限り、その主張をする意味は、フェミニストが主張する「女だからって押し付けないで」と変わらない。

フェミニストであることはおそらく、私にとって間違いないのだと思う。けれど、身体と心の性について、それは自己実現の話で、どちらかと言えばその問題が出てくるような社会に問題があるのでは? と考えてみた。そうすると、「ジェンダー解体」という言葉が、自分に一番はっきり当てはまるように思える。私の考え方は、フェミニズムで、ジェンダー解体主義。