神さまに会うこと

その「神さま」に会ったのはいつのことだったろうか。
当時の私は、オタクにありがちな妄想癖を持て余して、形にできなかった。見かける広告のキャッチコピーにエモさを感じても、それを言葉にすることはなかった。ただの、消費者だった。
神さまは、突然現れる。
広大なネットの海から、彼女の作品を見つけ出したのだけは私の成果かもしれない。タイトルが浮き上がって見えた。ああたぶん私が求めているものはこれなんだ、そう思って読み始めた。
文章の全てが煌めいていた。私は文体の好き嫌いが激しいほうで、市販されている小説にさえも手をつけないことがあるのだが、その人の小説は、次元が違った。キャラが生きて、喋って、笑って、泣いて、恋をしていた。遡って全部読んで、これが私の神さまだ、そう思えた。
更新を待った。Twitterでフォローした。新作が出たら、ブックマークしていいねした。そして、私は創作するようになった。
創作といっても二次創作だから、何もかも初めからではないし、彼女の作品も、二次創作だ。だけど、自分で文章を書くのは、読んでいるだけより、何倍も楽しかった。この人がいなきゃ書いていないな、と思った。
イベントに参戦するというツイートを見て、一般参加の友人に手紙を託した。お手紙を友人に託しました、とマシュマロを送った。
返事が来た。マシュマロを下さった方へ、と始まるその手紙は、黒のボールペンでかしかしと書かれて、私の宝物になった。煌めきが封筒の中に封じ込められていた。
そのうち、彼女がスランプに陥ったようだった。更新されない小説ページ、病みがちなツイート、それでも彼女は私の神さまだった。その薄暗いツイートの中から、たまに出てくるSS名刺メーカーの文章の中から、煌めきは確かに感じられた。そのスランプは、たぶん彼女が優しすぎる故のものだったのだろう。私は待った。心配になって、マシュマロを送ったりしながら、待った。
新作が更新された。まずは一読。
煌めいていた。煌めきはそのままに、海底の暖かさを備えたような作品だった。コメントを送って、Twitterのアカウントの鍵を外して、更新お知らせのツイートを何も考えず引用リツイートして、「義務教育」とコメントを添えた。
連続して来た更新に、嬉しくてマシュマロを送った。そうしたら直接連絡が来た!相互フォローになって、手が震えた。嬉しかった。
受験も近いからな、とTwitterのアカウントを消して、彼女とLINEを交換した。いろんなこと、それこそかなり立ち入った私の闇まで話してしまった。彼女はどこまでも親身になってくれた。いつまででも神さまだった。
迷った。ネットで知り合った人と直接会うのはリスクが高い。けど、この人なら、と思えた。文化祭に誘った。お茶会にお呼びした。そして、直接、会った。
見ず知らずの若造に、彼女は優しすぎるくらい優しかった。終始挙動不審な私が、もっとお話聞きたいです、と厚かましいお願いをしても、人とお話しするのあまり得意じゃないんだけど、と言いながらニコニコ話してくれた。高校の時テニプリ流行ってたよ、こうやってみんなで羆落とし!とか言って、とニコニコする姿は当たり前にいるお姉さんのようで、神さまだと思っていた人が普通の人だったと知った。
だからといって神聖さが失われたとは露ほども思わない。いつまでも彼女は私の神さまのままだ。ただ、頭の中で偶像崇拝が可能になっただけ。彼女は、ずっと、神さまのままだ。私が、彼女には遠く及ばないけれど仮にもものを書けるようになったのは、彼女が私の神さまだったからだ。