最後だなんて言わないで

ずっとそこにいるものだと思っていた。

冷静に考えればそんな訳はなくて、彼らは私の親より歳上なのだからいつか別れは訪れる。でも彼らは永遠を見せるのが得意すぎた。私は、彼らが永遠にそこにいると思いすぎていた。

君(若者を推している友人)たちは引退が怖いかもしれないが私は推しの健康状態が怖いのだよと言っていたけど、それは腰をやるとか脚を折るとかそういう話であって、こんなに急にどこかへ行ってしまうという話はしていない。

脳幹出血。聞き覚えはある。脳神経外科の時に勉強したんだと思う。

脳出血というのは得てして予後が悪いが、生命維持の根幹である脳幹での出血は特に予後が悪い。脳幹は中脳・橋・延髄に分かれており、出血部位によって症状は少しずつ異なるものの致死率が高いというのは共通の事実である。聞こえてくる症状から神経系で急性の病気を疑ったが本当にそうだったらしい。そんなもん当てたくもなんともないわいな。割れんばかりの頭痛を押してステージへ上がったのだろう。なんでやねん。休んでくれや。

 

今井担の私でも櫻井敦司という人間の美しさはよく知っている。友人に見せて満場一致で「かっこいい」を得たのは櫻井さんだけである。太もも出しても様になるおじさんを初めて見た(ラスロクはその後)。見た目だけじゃない、声も心も、私が窺い知る限りは、うつくしいひとだった。

自分がもう十分すぎるくらい傷を負っているのに、もっと苦しい人がいるから、としきりに口にする。ステージでは言葉少なに、ありがとう、と必ず微笑って言ってくれて。 冗談めかしてメンバーをイジって、ニコニコするけど、でも傷つけるようなことは絶対言わなくて。花と猫と音楽が好きな、優しすぎるくらい優しくて、有り体に言えば繊細な、ひと。ゆっくりと語る時の、その無音すら心地よく聞かせる、一ファンから見た櫻井さんはそういうひとだった。立ち姿も、顔も声も、遠くから見ても、近くで映像で見ても、時に繊細に、時に妖艶に、変幻自在でもうつくしいことだけは変わらないひとだった。だった?いや、未だに、私の中では、いくつかの映像媒体の櫻井さんが語っている。歌っている。

19日の最後は絶界だったそうだ。絶界の歌詞、ひとつも間違わなかったそうだ。目眩が酷かっただろう、頭も痛かっただろう、息も苦しかっただろう。でも歌ったんだそうだ、最後まで。そうしてステージから去った。あなたはずっとステージに咲くひとだった。

明日の朝、私は夢じゃなかったことを確認して泣くだろうなと思う。これが夢じゃないんだとするなら。悪い夢なら覚めてほしい。明日の朝起きて、名古屋やりますよ、というメールが入っていて、ゆうたさんのブログが再開していたら、もしかしたら、もしかしたら。そんなはず、たぶんないのに。

7月の有明、異空ファイナル、あれが私の最後の公演になるなんて、そんなこと、思うわけない。絶対にまた会いに行くねって、そう思っていた。

 

でもパレードは続く。

パレードは、続くんだ。

私は今井さんのファンだから、今井さんが大丈夫、と言ってくれたら、大丈夫なんだろうと思う。我々にとってはちっとも大丈夫じゃないけど、彼らの中では大丈夫なんだろう。私は信じることにする。

 

櫻井さん。

櫻井敦司さん。

あなたはどこまでもうつくしいひとでした。

私はあなたに出会えてしあわせでした。

あなたが幸せでいてくれたことを祈ります。

今はまだ泣いてしまうから、気持ちがもっと落ち着いたら、たくさんありがとうと言わせてください。

自分の考え方に名前をつける

※今回書くのは「ジェンダー解体」についてです。
※不勉強もあるかもしれません、というかあると思います。非当事者であり、医学を学ぶ一人間として体の性について考えたものです。間違っている事実があったらご教示ください。

この考え方が、単純にフェミニズムなのか分からない、と思ってきた。
フェミニズムは女性の生きやすさを、平等を、自分らしさを、誰にも邪魔されずに主張することを推進する考え方だと思ってきた。でもフェミニストというひとたちの中には、「私の考える正しいフェミニズム」を人に押し付ける人がいるような気がしていた。そのせいで、「フェミニスト」が「めんどくさい人」の代名詞のように扱われることもあるようだった。それに怖気づいてフェミニストと主張できないような軟弱な思いは、フェミニズムではないのではないか? 第一何か明確な被害を受けたこともない人間が偉そうに……。私は女だからといってできなかったことは今までない(気づいてないだけかもしれないし誰かを蹴落としてきたのかもしれない)し、所属している大学は女性の合格基準を動かした大学として報じられてはいない。幸い痴漢にあったこともない。そんな人間が、怒っていいのか。というように、グダグダ思っていた。


で、参院選が迫っていることもあり、政策を見たり候補のtwitterを見たりなんだりしているうちに、とある論争を見た。それは、「トランスジェンダー女性も女性トイレに入れるようにしてくれ」VS「女性だけの場所を奪わないでくれ」というものだった。前者の主張をしている人は、後者の主張をしている人に対して「トランス差別」と言った。後者の主張をしている人は、前者の主張をしている人に対して「女性の安全を考えていない」と言った。

そもそもでもこれ、「人が何着てようが自由」とみんなが思えていれば、生まれない問題なんじゃないのか、と私は思ったのだ。
例えば、生物学的に男性の人(XYの人、と今後表記します)が、スカートを履くのが好きだったとする。この時、「人がどんな服装を着ようがどうだっていい、自由」とみんなが思えていれば、この人が男性用トイレに入っても、誰も疑問視しない。勿論、他のXYの人と同じところにいたくない、怖い、というXYの人がいるかもしれない。こういう人のために、多目的トイレがある(多目的トイレがないところがあるというのは問題だと思っています)。


この考え方、「ジェンダー解体」というらしい。身体的性別は性染色体の違いとして絶対的に存在するし、それによってXYとXXでは体のつくりやホルモンの値が異なる。これは存在する違いだ。良いとか悪いとかそういうことではない。ただそこに「ある」。ただ、それに私たちの社会でのありかたを結びつけるかどうかは、話が別だ。
トイレを分けるのは仕方ない。それは体の話だから。それは体が、XYとXXで分かれているから。浴場と同じ、といえばすんなりと認められるのではないだろうか。責めるべきはそこではない。責めるべきは、身体の性別に従うそこへ入らなければならない私やあなたの身体ではないし、そう決まっていることではない。
そこじゃなくて、XYを持つことと、人前で泣かないとかズボンを履くとかいうことを、XXを持つことと、化粧をするとかヒールを履くとかいうことを結び付けて、押し付けて強制して、逆側を排除しようとする、その考え方が、おかしいのだ。責められるとしたら、そこなのだ。染色体を、身体を、責めるのではなくて、身体と行動・言葉を結び付けて押し付けて、逸脱を笑う、そういう社会を責めるべきなのだ。
フェミニズムジェンダー解体って、なぜか対立している気がするけれど、相性が良いのではないかと思う。フェミニズムが目指すのは、女性だからって差別されない社会だ。女性だからって、勉強しちゃダメなんてことはないし、女性だからって、ヒールを履いてスカートを履かなきゃならないわけじゃない。それって、既存のジェンダー観にNOをつきつけることだ。そんなこと言われたって従いませんよと宣言することだ。それが男性にも広がったものが、ジェンダー解体だと思う。
それは、「女だから」をなくすことと、「男だから」をなくすことを、同時に目指すことだ。もちろん、今は女性の方が、男性よりも低く扱われることが多いから、「女だから」をなくす方が、時間も労力もかかるし大変かもしれない。いや、大変だろう。私たちが、女性が、XXの人たちが、「女だからって押し付けないで」と声を上げることは、押しも押されもせぬフェミニズムだ。けど別に、これを男性が言ったって、何の問題もないはず。「男だからって押し付けないで」と言ったって、それが特権でなく生きづらさである限り、その主張をする意味は、フェミニストが主張する「女だからって押し付けないで」と変わらない。

フェミニストであることはおそらく、私にとって間違いないのだと思う。けれど、身体と心の性について、それは自己実現の話で、どちらかと言えばその問題が出てくるような社会に問題があるのでは? と考えてみた。そうすると、「ジェンダー解体」という言葉が、自分に一番はっきり当てはまるように思える。私の考え方は、フェミニズムで、ジェンダー解体主義。

遊戯場

2021年度 織田作之助青春賞 応募作品(三次審査落ち)



遊戯場
 
JR新宿駅の東口を出ると、七月真昼間の東京は恨めしいほど暑かった。いくら取材でも七分袖のブラウスなど着てくるべきではなかった、私は袖のボタンを外して二つ折った。鞄の中のメモ帳とボールペンをついでに確認して、待ち合わせ場所のドトールに向かう。徒歩五分の道のりもこう暑いとつい、億劫になる。
彼女は既に窓際の席で待っていた。髪は派手に染めても巻いてもおらず、ごく普通の会社員と言われても信じてしまいそうだ。丁寧に化粧はしているようだがこちらも派手ではない。こちらに気づいた彼女は一つ手招きして、微笑した。その笑みに何かが脳裏を掠めた。誰かが頼んだのだろうか、店にキャラメルソースの苦い香りが流れた。

「暑い中ありがとうございます、こんなところまで。何飲まれます? いいですよ、私買ってくるから」
「あ、じゃあ、アイスティーを……」
「わかりました、少しお待ちくださいね」

するりと立ってカウンターに歩いてゆき、アイスティー一つとアイスカフェ・モカ一つ、とよく通る声で注文する彼女の横顔は、同性の私から見ても明らかに美しい。嫉妬の情すら浮かばない、とでも言えば伝わるだろうか。彼女はグラスを持ってきて私の前に腰掛け、ストローを袋から出してグラスに入れてくれ、グラスの水滴をナプキンで拭いてくれ、そこで、やっちゃった、とばかりに笑った。

「すみません、つい、職業柄」

彼女は事前に聞いていた通り、源氏名である杏子と名乗った。ひとくちカフェ・モカを口にすると、何聞きたいですか、と彼女は発音した。そのくちびるの動きにふと、目を奪われていた。

「……どうかしました?」
「あ、いや、改めまして、私、首都放送の番組制作記者、小野水月と申しまして、今回の取材意図は、歌舞伎町で女性の居住地を作っている方がいらっしゃると聞いて、その取材に参りました」

私の拙い説明に杏子さんは笑顔で頷きながら、まあそんな立派なもんじゃないですけど、と言って、薄青のカラコンが入った目でじっと私を見つめて、話し始めた。

「ホントに、そんな立派なもんじゃないんです。家出てきちゃって、でも行き場所がない子たちがこの近辺にはたくさんいるの。私も結構稼げるようになって、そういう子見てると昔の自分を見てるようで。それでシェアハウス買って、私も住んでるので定員十人なんですけど、今八人は住んでるかな」

一気に話しきった杏子さんはカフェ・モカを飲んで、見に来ますか、とニコニコした。無論見に行きたいが、住んでいる他の人たちは大丈夫かと確認したところ、テレビ来るかもって言っておいたので大丈夫ですよ、とのことだった。
それから、杏子さんにいくつかの事を訊いた。行政に望むこと、住んでいる女性たちの現状、これからシェアハウスをどうしていくか。幼少期の話を聞こうとすると、彼女はふと顔を曇らせて、それは後でもいいですか、と言った。人前でできる話じゃなくなりそうなので、という彼女の言葉に、私は頷くしかなかった。

汚れてはいないが生活感は確かにあるリビングには、取材と聞いてだろうか、すっかりフルメイクの女性が三人もいた。おそらく高校卒業直後だろうという女の子はミエと名乗り、キョーコさんホント優しいよね、と話し始めた。女相手ということもあるのだろうか、物怖じしない。

「あたし、高校の時はチョーコミュ障で。クラスの女子とすら、まともにしゃべれなかったんですよ。それがこれ。ね、凄いでしょ?」

そうでなければ生き残れないのだろうか。性格を変えたんですか、と聞くと、あったりまえですよとミエはからから笑った。アタマ悪くて、運動できなくて、コミュ障って、救いないじゃないですか、で簡単に治せるのがコミュ障だった、と。

「まあ人によると思いますけどね。勉強のが楽ってコもいるだろうし。あたしはセーカク変える方がやりやすかったってだけ。あ、あと、メイクね」

後日、テレビカメラを入れてもいいか、その確認のために来たことを思い出して、その旨を伝えると、全員が全員、ウェルカムです、と頷いてくれた。無論、顔も声も隠すつもりだ、と伝え、日時の候補を決め、連絡の窓口として杏子さんとラインを交換した。
帰途に就く。山手線に乗り込んでぼんやりと窓の外を眺めていると、通知音が音楽に割り込んできた。生い立ちについては別日の電話取材でもいいか、という杏子さんからの申し出だった。いつでも大丈夫です、ご希望の日程を送っていただければ、と返信する。音楽は再生を続け、私は山手線に揺られながら、彼女に感じた既視感の尻尾をどうにか掴もうと努めた。電車に、学校帰りだろうか、制服姿の少女が幾人か乗り込んできて、溢れ出すように、ドトールでの既視感が再来した。
高校の同級生に、あの笑顔がいた気がした。電話取材の後、確認してみようと思って、メモ機能を立ち上げた。

帰社したのは結局、夕方のニュースの真最中だった。同僚が手を振ってくれたが、それだけ。今日の取材内容をまとめようとパソコンを立ち上げる。頭上のモニターから流れてくるのは殺人事件のニュースだ。全くもって気が滅入る。さっき性格を変えたと笑ったミエさんを思い出して、よほど人に迷惑をかけているわけでもないのに性格を変えねば生きていけない社会とは、と考えて、キーボード上の手が止まった。
今日の取材成果を書き記したファイルを保存して、書類仕事に入った。未だ事務仕事の割合も多い。杏子さんから、じゃあ明日にでも、とラインが入る。彼女の仕事に支障を来さないよう、午前十時からと取り決めた。

意を決して電話したんですよ、と杏子さんは言った。電話越しでも昨日とは響きの違う声に、私は少し身を固くする。きっと今まで聞いたことのないような世界が待ち受けている。スピーカーフォンにして、録音の用意をして、手元にメモ帳を用意して、私は先を促した。

「私が育ったのは東京なんだけれど、高校に入る年に千葉に移ったんです。それはうちの母親が私を、捨てたからなんですけれど。当時の母は今の私と同じように歌舞伎町で働いていましたから、男を作って駆け落ちした体になりますね。まあまだ義務教育までは一緒にいてやろうって気が廻っただけましなんじゃないですか」
「千葉には親戚の方がいらっしゃったんですか?」
「そうです、父親の顔は知らないし、母の親類も祖母しかいなくて、その祖母が千葉の、九十九里に住んでたもんだから、そこに引っ越しました。中学に比べたら田舎だったけれど、仲のいい友達もできたし、成績も悪くなかったし、暮らしは年金と私のバイト代頼みですから余裕はなかったですけど、まあ楽しかったですよ。その祖母も、高校三年の十月に亡くなるんですけどね」
「じゃあ、高校は」
「二学期で辞めました。それで、三月まではバイトしてどうにかお金を貯めて、四月になってすぐに歌舞伎町に行ったんです。私はもうここで働けるんだぞって。母を探すつもりも、初めはありました。初めは妙なのに捕まって、わざわざ貯めてきたお金取られて働かされそうになって、這う這うの体で逃げたこともありましたけど、今の店で働き始めてからは、安定してます」
「……お母様は、その後どうされているかご存じですか?」
「いいえ、分かりませんでした。あまりに分からないからもう吹っ切れてしまいました。歌舞伎町に帰ってきているわけでもないので、まあどこかで一緒になった男とでも暮らしてるんでしょう」

一通り話し終わった杏子さんは、ため息をついて、黙り込んだ。私は話を思い返す。重い話を一気にしてしまってごめんなさい、と電話の向こうで小さく言う杏子さんの声は、どことなく泣いているようにも聞こえた。
沈黙が続いて、やっと私は口火を切った。

「ありがとうございます、大変なお話を明かしていただいて」
「いいんですよ私のことなら。できることなら、私のように捨てられてしまったり、悪徳の業者に騙されてひどい環境に送り込まれたりする女性が減ったらいいと思って、あの家をやっていることもありますから。そういうことをしている人間がいる、その理由の一つでしかないので」
「……と、言うと、他にも理由があるのですか?」
「そのことなんですけど、電話にしていただいたのにはそのこともあって。テレビの力を、貸していただきたいのです」
「……テレビが、できることがありますか」

それは、前からうっすらと疑念を抱いていたところに、前日聞いた言葉と、事前の取材や文献収集を通じて感じた、私の本心だった。ただ事実を伝えるだけの私たちが、今まさに苦しむ人々に、何をできるというのだろう。

「無論、歌舞伎町という特殊な街の現状を見せていただきたいということもありますが……人探しを」
「人探し、ですか」
「ええ。その逃げ出したのは、東京に出てきた年の十二月なのですけれど、ひどい雨が降っていまして。でも傘を買うお金もないものだから駅前で途方に暮れて、そうしたら四十代位の紳士が傘と三万円を渡してくださって、それで人ごみに消えてしまったんです。お礼をまともに言うこともできなかったものだから後悔が募って」
「わかりました、その方の特徴を教えてください」

あくまで彼女の物語は、番組の一部に過ぎない。華やかに見られがちな世界の裏で、凄惨なほどの暮らしぶりをする女性たちの姿も、同じ番組の中で放送される予定だ。それでも、この人探しを番組に差し込むことは、彼女の過去を知る者の一人であろう私の、義務のように思えた。

後日現地で撮影した動画を用いてVTRを作成し、最初の取材から二か月後、番組の最終形を放送した。一つの番組の中でも彼女のパートは、一層のリアリティを持って放送することが出来た、と自負している。彼女の過去、そこに集う女性たちの過去、それは前後に放送された、グレーゾーンのような仕事に従事する女性たちの過去と大差なかった。だからこそ、と彼女は言った。最後の取材で、カメラを真っ直ぐに見据えて。

「あの子たちは、紙一重で掴むべき手を見つけられた、というだけです。路頭に迷った挙句、不法な働き方を強いられていたかもしれない。だからこそ、苦難から逃れてきたのに、今まさに苦難の中にいる人たちが、安心して将来を探せる施設や状況づくりをしてほしい。私が社会に望むのはそれだけです」

番組内で杏子さんには、傘を渡してくれた男性について語ってもらっていた。これでおそらく、番組を見ていればだが、連絡が来るだろう。彼女は、その時貰った三万円がなければ、おそらく死んでいるだろうと語り、部屋の隅に大切に置かれている傘を見せてくれていた。
放送後、様々な感想が届いた。勿論悪意あるものも一定数はあったが、大半は「考えさせられた」とか、「行政にもこの状況を訴えられれば」とかだった。杏子さんへの賛辞は後を絶たなかった。自分のことのようにうれしくなりながら、私は杏子さんにその旨をラインで伝えた。ほどなく返信が来る。

「それはありがたいことです。あれから店でも、何度かお声がけいただきました。高いお酒のご注文を入れていただくことも、厭らしい話、心持ち増えたような気がします。これもテレビの効果ですかね(笑)」

彼女の返信を読み終わったところで、私は次の仕事を始めなければならなかった。ここから先、彼女に関しては、テレビは関係ない私個人の仕事になる。それでも良かった。テレビが力になれることがあれば、全力を尽くす。そうありたくて、テレビの仕事に就いた、ということもあるのだから。

放送から二か月程経った。あの時茹だるような暑さだった台場も、もう部屋の暖房を入れるような気温になってきていた。今年初めてあたたかい珈琲を買って出社した私に、さっき電話来てたよ、と先輩から声がかかる。

「どちら様からですか?」
「鶴海さんって言ったかなあ」
「鶴海さん……?」
「なんか前の、あのドキュメントの歌舞伎町の回、あったじゃない? あれ見て電話したって言ってたよ。若い女性」

そういえば、と、杏子さんの人探しを思い出した。杏子さんとはあの後何度か食事に行ったりするくらいの関係が続いているが、十月に入ってからは私の仕事が立て込んだのもあって会えていなかった。杏子さんは「紳士」と言っていたから、若い女性では望み薄かもしれない。兎にも角にも、折り返してみる。

「恐れ入ります、私、首都放送ドキュメント制作チーム記者の小野水月と申します。こちら鶴海様のお電話で間違いないでしょうか」
「はい、鶴海です、折り返しありがとうございます。朝早くに電話してしまってすみません」
「いえ、こちらこそすぐに対応できず申し訳ないです。先般の放送をご覧いただいたとのこと、ありがとうございます、何かご意見やご感想ということでお電話いただいたのでしょうか?」
「いや、そうじゃないんです。あの、私の父が、昔新宿の改札で傘とお金を渡してきたことならある、というのでお電話したんです。父はどうしても電話したくないというもので、電話は私がするからって説得したんです」
「……そうですか、そのお話を聞かせていただくことは可能ですか? 電話でなくても構わないので、メールでも、直接でも」
「わかりました、聞いてみますね」

しばらく電話の向こうで話し声がして、それから机の引き出しを開くような物音が聞こえた。

「えと、そうですね、何? いつ? 明後日って、土曜だけど、そんな急に大丈夫かな…… 明後日の午前中は大丈夫ですか?」
「はい、土曜なら予定はないです。どちらに伺えばご都合よいでしょうか?」
「はい、どこでお会いする? ……新宿でもいいですか? 多分当時の位置関係とかわかりやすいので」
「承知しました。新宿ですね」

電話を切った後、私は何故か、自分の昔の知り合いに会うような気すらしていた。その日の仕事は、自分じゃないように順調だった。

先方から指定されたのは、予想通り、新宿駅東口だった。店は予約してあるが、その前に当時の話を現場でしたい、とのことだった。十二月に迫った新宿は硬質な寒さを纏い、私は着てきたチェスターコートの薄さを恨んだ。
改札から、遠目に見ても上質な三つ揃いに身を包み、帽子をかぶり、よく磨かれた革靴を履いた、所謂紳士が出てきて、こちらに気づいて小さく手を挙げた。よく見ると、銀縁の丸い眼鏡をかけている。五十代半ばくらいだろうか。

「初めまして、首都放送記者の小野です。わざわざご足労頂きありがとうございます」
「初めてお目にかかります、鶴海恭治と申します。寒い中お待たせしました。……この辺りに彼女はいたんです、土砂降りなのに傘も持たないで」

鶴海さんは懐かしむように話し始め、私は食い入るようにそれを聞いた。彼が万が一にも思い違いをしているわけではないことを確かめなければならないからだ。新宿駅東口、ここから左に歩けば歌舞伎町一番街。鶴海さんは、どこか苦し気に話を続けた。

「大方家出してきたんだろうと思いましたね。そのころは仕事の都合でよくこの辺りにいたので、そういう少女はよく見たんです。でもその彼女は妙に、娘に重なって見えましてね、放っておくわけにはいかなかった」
「電話されたのが、その娘さんですか?」
「そうです。しかし私も帰宅の時間が迫っていまして、何分その日は当の娘の誕生日だったんです。だからとりあえず、持っている傘と、財布の中に入っている一万円札を全部抜いて彼女に渡しました。……僕には、それしかできなかった」

鶴海さんは少しうつむいて黙った後、ふと顔を上げて、それから私に微笑みかけた。

「店に入りましょうか。大方の時間は伝えてあるので、席は取れていると思います」

そう言う彼に付いていき、着いたのはタカノフルーツパーラーの本店。壁際の席に通され、なんでも頼んでくださいねと鶴海さんに言われ、私は恐る恐る紅茶セットのワッフルを注文する。じゃあ僕はフルーツパフェ食べちゃおうかな、と彼は弾んだ声で言った。

「子どものころからこの店が好きでね。誰かと新宿で待ち合わせとというと、僕は毎回この店を選んでしまうんですね。そして、毎回フルーツパフェを食べるんです」

彼はそう言って笑うと、さて、彼女の話ですね、と真面目な顔に戻った。

「実を言うとね、僕はあの行動を、善い事をしたとは思えていないんです」
「……それは、なぜですか?」
「あの時、僕は自分と、自分の家族のことしか考えてはいなかったのです。彼女が今後どうなるかなんてことは、考えていなかった。当座困っている人にお金を渡すなんて、お金を持っていれば誰でもできることなのですよ。老子の言葉ですが、人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かず、と言います。本当に彼女を思ってすることなら、警察に連れていくなり、ホテルまでは連れていくなり、うちに連れていって暫く泊まらせるでも良かったはずです」

私は自分の身のことしか考えていなかった、と鶴海さんは小さくため息をついた。

「目もくれずに行ってしまう人ばかりの中で、気づいて行動しただけでも良いのではないでしょうか」
「そう言っていただけると少々ほっとしますね」

私が絞り出したせめてもの慰め擬きに、鶴海さんは少し微笑んで返してくれた。全く慰めにはなっていないのだが。フルーツパフェとワッフルが運ばれてきて、食べましょうか、と鶴海さんはやっと表情をはっきりと和らげて言った。

彼女が会いたいと言っていました、と伝えると、鶴海さんは西瓜を飲み込んで、そうですか、と言ってから考え込んだ。

「いえね、僕もお会いしたいとは思っているんですが、申し訳なくて、会っても良いものやら分かりませんで……彼女が良いなら、良いのですが」
「彼女、傘を返したいと言っていました」
「そうですか、じゃあ、お会いしましょうかね……いつなら良いでしょうか」
「彼女と連絡を取ってみます。空いている時間が分かり次第、連絡を差し上げればよいでしょうか?」
「お願いできますか、では、よろしくお願いします」

会った時と同じように、新宿駅の東口で別れた。地下鉄に下る階段の手前で私が振り向くと、人混みの向こうに帽子を振る鶴海さんが見えた。

とはいえ杏子さんも鶴海さんも仕事があり、結局予定が組めたのは年末だった。杏子さんは先に私に会っておきたいと言って、鶴海さんとの待ち合わせの一時間前に、初めて会ったドトールで待ち合わせた。この日も夕方からは杏子さんは仕事があるので、昼間の待ち合わせである。

「お待たせしました、お久しぶりです」
「お久しぶりです。……緊張してます、私。手が震えてるんです昨日から」
「ちゃんと、見つけられてよかったです」

杏子さんはふう、と息をついて目を閉じ、ところで、と小さく口にした。私は彼女を、じっと見た。

「私、昔小野さんにお会いしましたか? 今の今まで忘れていて申し訳ないのですが、昔お会いしたような気がしていて」
「高校の時に、同じクラスになったことがあると思います」
「やっぱり、そうですよね、クラスにいたような気がしたんです、小野さん。お顔にも見覚えがあって」

杏子さんは、それが分かれば良い、というふうに、ほっとした表情でカフェラテを口にした。私も彼女のことをそれ以上に知ろうとは思わなかった。彼女は最早、歌舞伎町に生きる杏子さんでしかないのだから。
外はさっきまで晴れていたのに俄かに掻き曇り、今にも雨が降りそうだった。鶴海さんとの待ち合わせの時間が近くなる。店を出たときには、もう新宿は豪雨だった。

私は遠くから見ていますから、お二人でお話しください、と私は言った。杏子さんはただ頷き、待ち合わせの場所である東口の改札前に歩いて行った。既に遠くに、チョコレート色のコートを着た鶴海さんが見えた。
遠くから二人のシルエットを見ながら、私は口の中に残る紅茶の味を感じて、雨に煙る新宿を眺めていた。二人が何を話しているのかは全く聞こえなかったが、杏子さんが傘を返したのだけはしっかりと目に焼き付けることが出来た。二人の話が落ち着いたであろうタイミングで加わろうと思ったのだが、話は尽きそうになかったので、杏子さんに、私は先に失礼します、とラインを送った。杏子さんがこちらを見て小さく頭を下げたのを見て、私はひとり、地下鉄へと下りた。
電車が走る轟音が私の耳に響く。結局杏子さんの本名を確認することはなかったけれど、私はこれで十分だと思っている。私だけが知っていれば良い事だ、とも思う。彼女はその名前をもう、捨てたのだから。夕方近くになって混み始めた大江戸線の中で一人、私は自分の仕事を、はじめて誇ることが出来るような気がした。
最寄り駅に着き、階段を上ると外は既に湿った夜だった。私は濡れた空気を吸い込んで、左耳に付けた小さなピアスに触れた。仕事で会うとは思わなかった、と改めて思い返す。街は薄青く煙って光っていた。私は家へ帰る道を歩きながらピアスを外して鞄に仕舞いこんだ。どこからか流れてきたキャラメルソースの香りが鼻を衝いて、私は私の初恋を手放す準備がやっと出来た。

恵まれた女はアクティビストにはなれないのか

いつもより短いが重いエントリ。たぶん。

自分で言うのもなんだが、家庭環境はかなり恵まれていると思う。
小学校から私立に通わせてもらい、中学受験と大学受験では塾も行かせてもらい、大学の学費だってそんなに安くないし年数も長い医学部に、行ってもいいよと言ってもらって、実際進学した。やりたいと言ったことは(海外旅行以外は)なんでもやらせてもらったし、大抵のほしいものは買ってもらえた。世間一般から見れば、厳しいけど普通に優しい親と、まあそれの期待を60%くらいかなえた娘、というふうにとられるだろう。

最近ニュースなどを良く見るようになって、親がLGBTQ+の人に対して差別的であったり、韓国や中国に悪いイメージを持っていて態度を軟化させなかったりということが気になるようになってきた。それから私は、当事者の話を調べるようになり、その状況に愕然とした。
貧乏さゆえに、高校に通えなかった人。
虐待や性暴力を親から受けていた人。
痴漢被害に逢った人。
兄弟姉妹と比べられて、下に見られた人。
女性だから、外国人だから、性的マイノリティだから、という理由で、差別を受けた人。
夫から暴力を受けていたけれど、子供のことを考えて離婚できなかった人。
レイプ被害を訴えたのに、取り合ってもらえなかった人。
LGBTQ+を打ち明けたら、親から拒絶された人。
そういう人たちが、自分の経験から、いろんな活動を行っている。
そんな人たちの中に私が入って何ができるだろう。あんた何にも苦労したことない癖に、と言われてしまったら、私には返す言葉が何もない。

だって私は金銭面で何にも苦労していないし、女性であることから不便を感じたことも(親の「女の子なんだから」に反感を覚える以外は)ないし、痴漢されたこともないし、一人っ子だし、日本人と日本人から生まれて日本人っぽい顔をした日本人だし、たぶん性的マイノリティでもない(これに関しては私は、私のことを好きになってくれる人なら男女は問わないと思っているけど、今まで付き合ってきた人はみんな男性なので分からない)。
経験していないことには、本当には共感できないとは思う。経験したって、その環境、今までの人生、すべてが違うのだから、まったく同じ思いはしない。本当に人間がわかりあうなんて無茶だ。でも、その状況に思いを馳せて、こんな環境は間違っている、そう声を上げることすら、経験者でなければ許されないような、そんな気がしている。このご時世に男女差別の被害を受けていない女なんて、名誉男性なのだろうか。私はそんなつもりじゃないけれど、そういわれるならそうなんだろうと思うくらいには今、意志が揺らいできている。
男性を憎んでいるわけじゃない。前の記事(フェミニストを憂う:青識亜論氏のnoteから考える - ねむみ)でも書いたように、それはフェミニズムの本旨ではないと思っている。でもそう思えてしまうのも、私がなんの苦労もせず、被害も受けず、今まで生きてきたからなのだろうか。
別に答えがあるわけじゃない。ただ悩んでいる。コメント・記事告知ツイへのリプライ、お待ちしています。

フェミニストを憂う:青識亜論氏のnoteから考える

青識亜論氏のnoteを拝読した。

note.com

本稿では、青識氏の稿において語られた「お気持ち対お気持ち」の構図にあることを自覚しながら、オタク兼フェミニストとして、「萌え絵を規制せよ」という言説に反論しようと思う。青識氏ほど論理的な言説となるかは分からないが、この問題において対立軸にあると考えられている二属性を同時に持つものとして精一杯書く所存である。

1. 萌え絵は規制されるべきか―第一弁論

まず根本的に、萌え絵というのは何なのかという話である。これについてはWikipediaの定義を参照していただきたい。
ja.wikipedia.org

萌え絵の対象となるのは、おおよそ10代の少女である。特徴としては、顔の大きさに対して目が大きいこと、口が小さいことが挙げられる(Wikipediaより引用)

この「おおよそ10代の少女」というのがフェミニスト的には問題なのだろう。いわゆる「未成年を性的にみている」とかそういうこととしてである。
で、この萌え絵というのは、対象を性的にみているといえるのだろうか?それは、私の個人的な見解だが、言えない、と思う。萌え絵、というのはあくまで「おおよそ10代の少女」を「顔の大きさに対して目が大き」く、「口が小さ」く描く「画風」とか「画法」の一種であり、完全に性的な目線において描かれたものであるとは言えない(そもそも、どのような絵が「対象を性的に見て描かれた絵」といえるのか不明である)。
Wikipediaにも「萌え絵批判」については触れられている。

萌え絵は企業や地域のマスコットキャラクターやメディアに起用されることもあるが、不適切な場面で一定の要素(子供の目に触れる場面で不適切な身体パーツ、ポーズ、表情、服装などが取り入れられているなど)が含まれると駅乃みちか・碧志摩メグ・キズナアイなどのように一部から批判をされる可能性があるため、状況に応じて絵柄的な配慮や起用キャラクターの選別が必要とされる(Wikipediaより引用)

この場合の「不適切な場面で一定の要素が含まれる」とはどういうことなのか。それは単に、ある人達が「これは不適切な場面である」「これは性的な一定の要素である」と主張しているだけなのではないか。次の項では、規制派による「萌え絵の不適切さ」に対して反論しようと思う。

2. 規制派への反論その一―萌え絵が不適切になるとき

萌え絵が不適切になるときというのはあるのだろうか。勿論、ところ構わず萌え絵を使えば良いということではない(訴求力の点でもっと相応しい絵柄が存在することもある)し、萌え絵に対して否定的感情を抱く人のその否定的感情を否定することはあってはならない。しかし、それがパブリックに不適切であるかどうかとは別である。「私が不快だから撤去しろ」という言説がまかり通るならば、公共の場には何も置けなくなるだろう。暖かい家庭の図は家で虐げられた人を傷つけ得るし、順調な異性愛のラブストーリーは恋愛に障壁を感じる同性愛者を傷つけ得る。個人的な感覚と、公共の規制とは、判断基準は(人が不快になるものの規制という点で)同じ基底にあれど、全く同一のものではない。

ではパブリックに不適切なものとは何だろうか。例えば、アダルトビデオはビデオ屋で奥に配置されゾーニングされているし、先般話題となった少女型ラブドールも街を歩いていて偶然目に入るようなところには売られていない。そういう直接に性的なものはゾーニングされ、人の目につくところには置かないというのが「パブリックに不適切」の例である。この範疇に萌え絵は入るのかというのが論点であろうが、あの萌え絵という画風がそれそのもので直接的に性的であり「パブリックに不適切」であるとは言えないと考える。これは第1項で触れた。

つまり、一般的な萌え絵が不適切となるのは「訴求力の点で不適切」であるときのみであり、「パブリックに不適切」となることはないといえるだろう(勿論過度な露出を伴うものはこの限りではない)。

3. 規制派への反論その二―絵の「体型」に関する批判?キャラの「属性」に関する批判?

そもそも私は冒頭で表明したようにフェミニストである。リベラリストでもあるつもりでいる。KuToo運動にも(基本的には)賛成であるし、社会的な性別に役割が固着することなくみんなが自分の生きたいように生きられればいいなあ、と思っている。しかし最近のいわゆる「ツイフェミ」たちは、本来のフェミニストの姿を見失っているように感じる。

顕著に感じたのは宇崎ちゃん論争の時で、あれを性的と見てしまうのがそもそもバイアスなのではないかという感覚であった。服は着ているし、実際あのような体型の(というか胸の形の)人は実在する。勿論萌え絵というのはデフォルメの一種であり、その画風は宇崎ちゃんにも受け継がれているのだけれども、上下とも着衣の状態であり、何か卑猥なことを言っているわけでもない。これは「パブリックに不適切」とは言えない。

そして「君野イマ・ミライ論争」である。これに関しては正直な感想を述べれば、ぞっとした。私自身、「158cm女子高生」だった時期が、あまり遠くない過去にあったからである。これが、この絵やこの属性が、男性目線であり批判すべきものであるなら、オタクでありかつてスカートがそれなりに短い158cm女子高生であってアイスクリームが大好きでありかなりぐうたらな私はどうやって、まっとうなフェミニストになれるだろうか。男性目線で媚びた属性もりもりだが。フェミニストたちは私のことを名誉男性と呼ぶのだろうか。実在の人なら良いけど二次元の被造物だとだめなのか?これが、この広告がだめなら、「心理的に傷つき得る三次元の女子高生に」「年上の男性を」「心理的に持ち上げる役をやらせる」docomoのCMの方がよほど気色悪いだろう。あのCMを批判している人はついぞ見たことがないが、フェミニストの皆さんは見たことがないのだろうか。あのCMは男性側も馬鹿にしている(年下の女の子にちょっと褒められたらホイホイ金を落とすという見方)。

話を戻すが、君野イマ・ミライは、萌え絵であるという理由で批判されるものでも、女子高生設定であるという理由で批判されるものでもない。強いて言うなら「環境問題に興味がない=ぐうたら」というラベリングはどうかとは思うが、それは「この広告に萌え絵は不適切である」という言説や「この広告に女子高生という設定は必要ない」という言説とは関係のないものである。

4. 結論―憂フェミニスト
本来、フェミニズムとは、「女性らしさとか、女の子なんだからとか、そんなものに縛られずに生きる道があったっていいじゃない!」という、自由を謳歌せんと女性が社会に対して掲げた挑戦であり、一つ一つの勝利に、自由に対する凱歌だったはずだ。しかし今やフェミニストたちからうかがえるのは、男という性別への怒りや憎しみや恨みであり、自由への凱歌を歌うような余裕は一つも感じられない。いつだって属性全体の批判に飛びつけば、その中の多様性を否定する危険が付きまとう(いわゆる主語デカ構文)。男性でありながらフェミニストであることは可能である、女性が男性と同様に(逆も然りだ)自由に生きていくことを肯定しさえすればよいのだから。しかし今のフェミニストを見ていては、不可能であると思われても仕方がない、男であるということそのものが罪であるように扱っているのだから。

萌え絵に対しても同様である。女性が自由に世界を闊歩する自由があるのと同様に、萌え絵を描く自由はある。そうして正規の手続きを経て、それが広告に採用されるのであれば、そこに「萌え絵を広告に採用する自由」が存在する。オタクでありながらフェミニストであることが可能であるにも関わらず、不可能なように思えるのは、上記の男性の理論と同様である。

本来のフェミニズムであれば、どのような体型の女性がいても、どんな格好をしても、「あなたの自由」であったはずだ。それこそが、服装や体型の呪縛から自由を勝ち取ったフェミニストたちの凱歌であったのだ。しかし今、体型に政治的正しさを求めてしまえば、それはもはや自由ではなく強制である。属性に多様性ではなく正しさを求めるとき、「正しい属性とは何か?」という問いが付きまとう。フェミニズムとは何か?それは自由と多様性を勝ち取る戦いであったはずだ。決して、本来多様であるべきものに正しさを強要する行為ではないはずである。今、本来のフェミニズムの姿を、私たちは見失ってはいないだろうか。

5. 補:オタクでありフェミニストの私がお気持ち表明した理由
私は宇崎ちゃん論争の時、特に発言しないで置いた。別に知名度は全然ないし、言ってしまえば「関係ない」と思えたのだ。献血の広告にも宇崎ちゃんにも興味が大してなかった。

しかし、君野イマ・ミライ論争になって、さすがに問題がある、と思った。ごく普通にいる属性である少女を描いて広告としたものが、どうしてこのように炎上するのか。絵柄がダメなのか。そもそも絵を使うなということなのか。

その状態で上掲の青識亜論氏のnoteを読んだ。正しい言説だし論点も分かりやすいのだが、完全にフェミニストとオタクが対立項として扱われていたのが腑に落ちなかった。フェミニストであり、オタクであり、表現規制に反対している、となると、おそらく青識氏の区分けではオタク側に分類されるのであろう。しかし私の自認としては完全にフェミニストでありながらオタクであるので、どちらかを無視することは出来なかった。フェミニストでありながらオタクであるのは難しい。フェミニスト(と自認する人々)とオタクは、なぜだか対立してしまうからである。その対立構図を何度も見てきた。しかしこの広い世の中、それこそ多様性の概念によって、フェミニストとオタクのベン図を書いてその重なるところに人がいるのは、おかしなことではないではないか。

フェミニストでありながらオタクである、男性である、その他諸々いわゆるフェミニストに反感を買っている属性を持つ人々に言いたい。いいじゃないか。いかなる属性を持つ人間もフェミニストになることが可能だ。性別や人種や性的指向による社会的バイアスに縛られず各人の自由に生きていけるように願い、それを邪魔する偏見や差別に怒りを覚え、抗議し、自由の権利を行使しさえすれば、誰だってフェミニストだ。

書きたかった合格体験記

学校に出した方の合格体験記は両親が添削したもので書きたいことが半分も書けていないので、こちらは好き勝手書きます。勉強法は役に立たないと思います(万年D判)ので考えたことをつらつらと。

公開なので身バレしないようにすると、某国立医科大学に合格した人間です。

1 文系脳かどうか
正直関係ないです。そもそも文系脳ってなんなのか。文豪大好き数学拒否マンでも勉強すれば医学部にいける(ソースは私)。適性が出やすいのは理社の方だと思っていて、私が理系進学した理由に「正直地歴が無理だった」はあるので、社会が壊滅的に無理という人は、数学が多少きつくても理系にした方がいいみたいなところはある。一日かけた地理のテストが64点だったときはもう諦めた。倫政選択です。

2 志望校に恋する
これと決めたらほぼ変えない。個人の意見ですが。文法問題なんて出ないもん!と、塾での問題演習で文法を捨てる時間配分を考えることも可能。運命の相手、くらいに考える。こいつしかいない!くらいに。早いうちから志望校の問題傾向を知っておくことは大切です。ただし関係ない問題を切るのは高3後半からにしておきましょうね。学術的に楽しいものを見逃すことになりかねないから。

3 先生にも恋する(特に苦手教科)
これで数学の点上がったんで効きます。マジで。高2まで平均普通に割ってた人間が、学年(多分)8位とかになれるの信じられます?そういうことです。恋するまでいかなくても、推すくらいはやったほうがいい。精神衛生にもいい。

4 よく寝る
進学先の他に私大2校を受験しました。睡眠時間4時間では補欠合格、7時間では普通に合格でした。そういうことです。ちなみに後者の学校の方が偏差値が高い。

5 英語はちまちまやっておく
英語は少しずつやっておくのがいいです。理由は単純、英語が一番身に付きにくいから。英語というのは国語とは違って、いつも使っていない言語なので、使うこととその思考体系に慣れる必要があるわけです。数学とか理科はその特性上、ファジーな部分が少ないのですが、英語は言語だからとてもファジーで、正しめの文章(ネイティブには違和感があるけど、文法的には合ってる文章)を書けるようになるためにも、感覚が必要になる。他の教科は10日強化とかやっても身に付くんですけど、英語はそれをやると11日目にはほぼ忘れてます。単語以外は詰めこまないように。

6 長文読むだけなら単語はあまりいらない
基本単語を覚えてから鉄壁を開き絶望、なんてことは誰しもあると思います。極論、文章を読むだけなら、高2までで覚えた単語で行けます。英語なら。難しい単語はまあ文中で説明があるもんだし、分からなければ諦めてもそんなに影響しない(なんてことを)。受験まではいくつも文章を読むんだから、読んでる間に覚えればいいわけです。単語を覚える=英語、だと思ってしまうのが一番危ない。

7 医学部志望ならセンターはガチで
センター830でよわよわとか言う輩が医学部にはいます。というか割とコモンな人種。そういう人と戦うわけだから本番はガチで行くこと。ボーダーは9割、理想は満点。上手くいかなかったあとのセンター模試返却とかセンターリサーチとかのときは東工志望の人の近くにいましょう(東工のセンター足切りは600点)なるべくそういう医学部志望からは離れましょう。

8 模試後の精神衛生
夏の東大模試で理科二類A判で調子乗るなんてことはあり得ないとして(自戒)、模試の成績に関しては、「一喜はするな、一憂はしろ」を掲げていきたい。できた教科なんて見なくていいんです。出来てるんだもの。出来なかった教科の答案と解答を隣において、「は?これができないとかゴミだろ受験やめろ」とか「はい、浪人」とか言いながら自分の答案を添削していくと自己肯定感を犠牲に間違えたところを確実に覚えられます(消してある部分については確実に自己愛ダダ下がりなので濫用はしないように)。ただし英語のライティングと国語の記述については模試の採点を信用しないこと。それより解答を見る。たまに解答も違うことがあるので気持ち悪いと思ったら先生に相談。

9 本当にやりたいことができる大学へ
志望校に迷うのではなく、やりたいことに迷ってほしい。畢竟どの大学に入ったところで、あなたが学びたいことが変わるわけではないのだから。大学にいけるというのは、悲しいかな今の世では特権であることを覚えておいてください。学問は、少なくとも今は、贅沢なのです。

書きたいことを全部書いてまだ本文では2000字行ってないので最後に格言書いて終わりにします。かっこいい。
「死ぬ気でやれよ、死なねぇから」 ありがとうございました。

いっぱい意見表明する君が好き

 芸能人の政治的発言が云々され始めたのは、コロナウイルスもさることながら、あの「#検察庁法改正案に抗議します」からではないだろうか。それより前、あまりそういうことを言っている人を見なかった。そもそも、政治的なような発言をしている芸能人を、ワイドナショーでしか見たことがなかった。
 否、一人、見たことがある。というか好きだ。twitterフォローしてる。芸能人の中で、誰よりも積極的に発信している(ように見える、私がフォローして発言を見ている芸能人が少ないだけかもしれない)人を知っている。LUNA SEAX JAPANの、SUGIZOさん。

 私がそのあたりのロックとかを聴き始めたのは最近(今年の3月)なので、彼のことを知ったのも最近なのだが、オタクの性か、およそ思い当たる情報媒体(twitterWikipedia、その他諸々)で彼のことを調べまくった。まあほとんど自己満足なので、7割は忘れているのだが。
 そこで、彼が難民問題に熱心だったり、政治についてちゃんと意見を持っていて、発信していたりすることを知った。勿論twitterをさかのぼりましたよ、ええ。ちゃんと考えて発信している。

 社会の問題について考えることは大好きなので、個人的にもいろいろ調べているのだが、いかんせん、考えて意見を持ってまとめても、発表したところで影響力もなければコネもない。どこかの新聞に紙面を持ってるわけでもない。twitterで書き散らしたところでフォロワーの一部しか見ないのである。どうしようもない。それが一般人の定めだ。名前を公表する意地もなく、それが許されているわけでもない(私の親はソーシャルメディアに大きな不信感を抱いているので私のネットでの活動はほとんど親に秘密である)私は、ますます無力である。
 だからこそ、有名な人、芸能人には、思ったことを言ってほしいのだ。思ったこと、考えたこと、言いたいこと、それをたくさん、発信してほしい。彼らはリスクを負っている。名前と人気を、一挙に失うかもしれないぎりぎりのところから、それでも発信するべきと発信された言葉は、その練られた思考を示している。考えている、感じている、それが私たちに通じる。別に賛成するといっているわけではない。そこから広がる、考えている人たちの列に、一般人が簡単にアクセスできる、分かりやすい道なのだ。

 私はSUGIZOさんの言うことに全面的に賛成してはいない、こともある。当たり前だ。育った時代も、環境も、過ごした時間の質も量も違うのだから。時として、それは手ぬるいだろ、と思うこともあれば、そんなに言わなくたって、と思うこともある。大切なのは、賛成できるかではない。意見を言うというカルチャーに触れられるかどうかだ。
 えてしてこういう人たちが意見表明をすると、そういうこと言うなだの別のアカウントでやれだの音楽だけやってろだのリプ欄が荒れるのだが、なぜそうなるのか私には分からない。彼が発言することで、そういう考えもあるんだな、と知ることができる、それが一番大切なのに。知りたくないのだろうか。知りたくないんだろうな。彼がそうやって言われて発言をやめてしまうことを、ないだろうけど、私は一番心配している。

 いっぱい意見を言う人が好きだ。発信をやめない人が好きだ。それは彼/彼女が、知ることと考えることの大切さを知っているから。意見に触れることがどれだけ大切か知っているから。